トップページ研究だより一覧>研究だよりVol.12

生活科学最前線!研究だより 【研究だより一覧】へ

VOL12 : 母子の出会いの場−周産期医療における臨床心理的援助

生活科学研究科・生活科学部 講師 長M 輝代

1.はじめに
NICUの様子
  近頃ニュースで「周産期医療センター」や「NICU(新生児集中治療室)」「MFICU(母体・胎児集中治療室)」などの言葉をよく耳にするようになりました。妊娠中のお母さんやお腹の中の赤ちゃん、生まれたばかりの赤ちゃんを対象とする日本の周産期医療の進歩はめざましく、現在では在胎22週や23週の赤ちゃんや、体重500gの超低出生体重児も生育可能とされています。

 しかし、生まれたばかりの我が子が集中治療室で治療を受けている様子に接した母親が、自分自身を責めたり、抑うつ的になるなどして赤ちゃんとの関係をつむぐことが難しく、治療を終了して自宅にもどってからも漠然とした不安を抱えたままで子育てを行っている場合もあることがわかってきました。

 周産期とは、母親にとっても赤ちゃんにとっても身体的・心理的に変動の大きな時期です(周産期は、厳密には妊娠満22週から出生後満7日未満の期間を指しますが、ここではもう少し広い概念としてとらえていきます)。母子の出会いはその後の母子関係に影響し、母子関係は対人関係の礎になります。こういったことから、お母さんと赤ちゃんが出会う周産期における心理社会的援助の重要性が次第に認識されるようになってきました。現在ではNICUやMFICUなどの周産期医療現場で、母子の関係性の支援のために、医師や看護師らの医療スタッフとともに臨床心理士も活動を行うようになっています。
保育器での治療
  さて、今回の「研究だより」では、最近行ったMFICU入院妊婦の心理状態に関する研究結果と現在行っている新たな取り組みを説明したいと思います。最後に少し、最近行ったモロッコ王国の調査を紹介し、改めて感じたことについて述べたいと思います。


2.MFICU入院妊婦の心理特性に関する調査
  MFICUとはmaternal fetal intensive care unit の略で、ハイリスク出産(切迫流産や妊娠高血圧症など)の危険性がある母体や胎児を対象としている母体・胎児集中治療室のことです。
2006年12月から2007年7月までの8か月間に大阪府下のA周産期センターMFICUに入院し調査に同意した妊婦41名を対象に、どのような気分・感情面の心理特性があるのかを調査しました。
調査では、MFICU入院中の母親の気分を「緊張―不安(T-A)」「抑うつ―落ち込み(D)」「怒り―敵意(A-H)」「活気(の低さ)(V)」「疲労(F)」「混乱(C)」の6尺度で測るPOMSという質問紙を使いました。結果は図1の通りです。この図では、6つの気分尺度の平均得点と「要注意」得点者の人数を表しています。


対象者41名中「要注意」得点者は「緊張―不安」が11名、「抑うつ―落ち込み」が10名、「怒り―敵意」が3名、「活気(の低さ)」が20名、「疲労」が5名、「混乱」が5名で、6つのいずれかの尺度で「要注意」得点以上であった者は26名(63.4%)と高い割合で「要注意」得点者がいることがわかりました。
そこで、NICUの小児科医と臨床心理士が入院中の妊婦の病室を定期的に訪問する「産前訪問」を実施しました。安静のため動くことができない母親のベッドサイドに赴き、母親が心配していること、赤ちゃんについての疑問や質問を聞き、適宜回答したり助言したり、母親の思いにじっと耳を傾けたりしました。このような産前訪問を行った後に、再度質問紙調査を行った結果が図2です。これからわかるように、産前訪問が入院中の妊婦の「緊張―不安」「抑うつ―落ち込み」を和らげる効果があることが示されました。臨床的に当然の結果だと思われるかもしれませんが、独りよがりにならないためにも一つ一つ検証していく作業が大切だと改めて認識できました。



3.モロッコの調査から改めて感じたこと〜他者を見つめることは自分を見つめること〜
 最後に、最近行ったモロッコ王国の調査を通して考えたことを述べしめくくりたいと思います。
  世界の周産期医療・母子保健の現状を知ることは、日本の周産期医療・母子保健を分析する上でも重要な視点になります。それにしてもなぜモロッコ王国??と思われる方も多いでしょう。モロッコ王国はアフリカ大陸の北西に位置する立憲君主制のイスラム教国です。表にあるように、周産期死亡率が高いため、その改善を目指して日本から専門家が派遣されているのですが、ある文献には“産後うつがない国”としても説明されているのです(日本では産後うつ病有病率は13.4%とされており、母子保健政策上、取り組むべき重要な課題として挙げられています)。

*1 −は統計データがないことを示す

 モロッコの調査では、出産のため命を落とした母親や赤ちゃんを身近に知っている方と何人もお会いしました。また、診療カルテの妊娠歴記載欄には、妊娠回数記載欄の下に、現在生きている子どもの数、前回出産の子が生きているかどうか、もし亡くなっているなら何歳で亡くなったのかを記載する欄がありました。周産期の母親や赤ちゃんの死がどれだけ身近であるかを改めて感じた瞬間でした。
  モロッコでは伝統的に、助産師などの専門技能を持たない地域の女性が出産を介助する出産方法が行われていました(現在も村落部では多く残っています)。このことが高い周産期死亡率の一因であるとして、伝統的なお産から近代医療化への政策が進められているわけです。

医療施設で無事双子を出産し誇らしげに記念撮影をする母親

母親学級で栄養のある食べ物について説明する助産師
  確かにモロッコでは、科学的な根拠に基づく指導でより安全なお産が徐々に確立しているようでした。しかしその一方で、モロッコの妊婦さんたちの中には、近代的な医療によるお産ではなく、地域の皆で助け合い、喜びを分かち合う地域での人とのつながりの濃い伝統的なお産を強く希望する人たちもいました。現在、モロッコでは妊産婦のメンタルヘルスの実態についての統計がとられていないためはっきりとは述べられませんが、こういった地域での人とのつながりが母親のメンタルヘルスに非常に強い良い影響を及ぼしている(いた)のではないかという指摘もあります。
  私はこのモロッコでの調査を通じて“絶対的で客観的な正しさ”とは異なる、文化や歴史に基づく様々な価値観や幸せの形を垣間見たような気がしました。そして、他者(モロッコ)を見つめることで自分自身(日本)を見つめなおすことができるのだ、とも考えました。
  先ほど示したMFICUでの調査結果は、個別的な結果ではなく、量的な全体としての結果です。ここで忘れてはいけないのは、全体として効果があるという結果が出ても、ある特定の人にとっては効果の無い、むしろ傷つきの体験となる場合もある、という事です。人にはそれぞれ背負っている文化があり、価値観があり、これまで生きてきた歴史があります。今後、有意義な取り組みはなんだろうかと考える時、一人一人の母親その人にとってどのような意味があるのかという視点を忘れずに研究を続けていきたいと考えています。

(2009.10.19)

【研究だより一覧】へ

 

back number