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VOL.6 : 高齢期の心を知る〜想い出話の力の不思議〜

生活科学研究科 臨床心理学コース 篠田美紀

1.はじめに
---日々の生活を営みながらも、ふとしたことから想い出が蘇り、その想い出にしばし今の時間を忘れる---。

  このような体験は、どの年代にも、誰にでも生じる、とても不思議なこころの働きです。とりわけ高齢期にはこのような体験が増えてきますが、最近では、高齢期に生じるこのようなこころの働きが、実はとても大切な営みであることが理解されてきました。
  これまで、高齢者の昔話は、老いの繰り言、現実からの逃避など、良くない評価を与えられがちでした。しかしながら近年では、想い出を良い聴き手に語ることによって、それまではあまり顧みなかった“私”の“歩み”を人はあらためて確かめ、自らの人生を自身のこころの中に再び収めるのだと考えられるようになっています。
  認知症のため、たとえ今 現在の記憶が薄れつつあっても、なおこころの中には果てしない想い出の世界が広がっています。この想い出話の力を活かして、今の生活をサポートしようという認知症ケアも広がりつつあります。この研究ノートでは、想い出話の中でも特に高齢期の想い出話について、心理学的な考え方からその仕組みと意義を紹介し、援助技法としての認知症ケアへの応用の実際をご紹介したいと思います。


2.-こころの仕組み- から見た想い出話
  私たちの日常生活は、誰にとっても日々慌ただしく、忙しく過ぎて行くと言っても過言ではないでしょう。時計の針は止まることなく刻々と過ぎ、私たちは多くの場合、次々と移り変わる現実の場面に対処しなくてはならないのです。このような場合、私たちは外界(外の世界)に意識を働かせ、今現実世界で何が起こっているかを知り、どうすれば良いのかを判断し、その場に相応しい行動に移すという作業を繰り返し、繰り返し行っています。しかし、このような作業の一方で、私たちのこころの中(現実の世界-外界-に対して心理学では内界という呼び方をします)でもまた様々なことが起こっています。うれしい、哀しいという感情が渦巻き、不安になったり、怖くなったり 安心したり、時にはインスピレーションがひらめいたり、さまざまなこころの動き−ダイナミズム−を抱えてそれらに影響されながら、やはり私たちは日常生活を送っているのです。
  通常私たちは、日常生活を営む際、今そこにある状況にどう対処していくか?が最大の課題となります。このため、内界に生じてくる少々のこころの動きを切り捨て、現実に対処しようと努力します。この対処に失敗すると、少々面倒なことになります。大学の講義中にこっくりこっくりと気持ち良さそうに眠っている学生は、そのときの外界への適応、講義を聴く、記憶する、思考するという行為には失敗し、通常、講義を聴いている時には切り捨てられているはずの内的世界、極端な例を挙げれば、どこかの外国にでもいるような夢の世界を体験していることになります。講義が退屈なので、週末のデートのことを考えたり、講義が終わってからの寄り道のコースを考えたりというのも、内的世界優先のよい例になるでしょう。
  このように、私たちは日常生活の中で、たびたびこのような現実生活からかけ離れた、あるいは少々離れた内的世界を体験することがあります。今回テーマに挙げた想い出もその一つです。普段の生活では忘れているにも関わらず、ふとした拍子にこころのなかに鮮やかに浮かび上がってくるというものです。私たちは今がいつで、ここがどこで、私が誰でどういう立場かを常に意識して暮らしていますが、こころの中には様々な状況でのこれまでの体験が詰まっています。日頃はそれらの体験をいちいち意識せず、こころの奥底にしまっていますが、時としてこれらの体験が浮かび上がってくるのです。このような体験は生活の中ではたびたび起こってきますが、とりわけ高齢期にはよく生じてくるようです。


3.高齢期のこころの発達と -想い出-
  高齢期に昔の話が多くなるということは、これまでも経験的に知られていました。そして、過去への繰り言であるとか、現実からの逃避であるとか、未来を見ようとしない傾向であるとか、高齢者の否定的な特徴のように思われてきたのです。しかし近年になり、発達心理学の分野では、生まれてから死ぬまでの心理的発達を研究しようとする生涯発達心理学という研究分野が確立されました。これは現代でこそ当然の考え方ですが、以前は人間の心の発達は成人になると何ら変化はなくなると考えられていたのです。生まれてからの心の変化を探求する発達心理学は青年心理学で終わり、成人期以降の研究は立遅れていました。ようやく、1950年代になりアメリカの心理学者 E,エリクソンが心理・社会的自我発達説(ライフサイクル論)を唱え、人のこころは生まれてから死ぬまで発達し続けるという考え方を提示したのです。彼は人生を8つの段階に区切り、それぞれに乗り越えなければならない心理的課題があると考えました。中でも画期的だったことは、それまでは考えられていなかった成人期以降のこころの発達を漸次的 段階的に解き明かしたことです。彼は高齢期に、自分自身の人生の受け入れという心理的課題を与えました。−高齢期には人は 生きてきた歩みを確かめようとする。この大変難しい課題を通して、人は英知を得る−という彼の考え方は、それまでの否定的な高齢期観を覆し、円熟 成熟という新たな高齢期観を生み出したのでした。
  これらの考え方が発展していく中、1960年代にアメリカのR.N.バトラーが高齢期の想い出話は誰にでも生じる、自然に起こる心理的過程であると提唱しました。エリクソンの提唱した心理的課題は 特別に個人が意図しなくても、こころの側からそのような働きと作業が自然に始まるのだという考え方です。従って、高齢期の想い出は、課題となる「人生の振り返り」を背景としているため、他の年代に比べ、特に大切な働きを有していると考えたのです。そしてバトラーはこの誰にでも生じる想い出を、高齢期をより豊かなものにするための援助技法−回想法およびライフレビューとして発展させました。


4.回想を使った援助技法の開発と発展
  バトラーが提唱した回想法と呼ばれる援助技法は、現在 世界中で実践され、1990年代後半からは日本でも各地の病院や高齢者施設に次々と取り入れられています。こころに浮かぶ想い出を自由に話し合う回想法は、グループの場で各セッションのテーマを通して、それぞれの体験を深める技法です。一方、ライフレビュー(Life Review)は個人が面接形式で積極的に自身の人生の振り返りを行う技法です。
  グループ回想法は会を行う組織の種類や目的、メンバー構成などにより人数構成や回数 時間が異なってきますが、通常、1グループ8人程度の参加者と1名のグループリーダー、そしてリーダーを補佐する コ・リーダー2名の10名ぐらいの人数で行います。1週間に1時間程度、回数は5-10セッションを1クールとし、各セッションにテーマを設定し、また回想を促す物品を提示しながら、会を進行していくという形式です。
  参加者は最初、リーダーを中心として、各セッションに設定されたテーマを中心に自由に話をしていきます。テーマは幼児期から現在に至るまでの時間の流れに沿って設定するのが一般的ですが、参加者が経験してきた時代背景や個人の歴史、季節、参加者の現在の状況をよく考慮した上で、設定します。また、提示する道具には、会の中で実際に触れたり、体験することにより、視覚や聴覚、触覚、味覚、嗅覚が刺激され、想い出を促すという大切な役割があります。
  このようなグループ回想法の効果としては、参加者の表情が生き生きと変化するという家族や関係者の報告をはじめ、日常生活への意欲が高まることも報告されています。これらの効果は、これまであまり顧みることのなかった−私の人生−をスタッフや他のメンバーと共有することによって、「うまくいったこともあれば、うまくいかなかったこともあるけれど、私も私なりにこれまでよくやってきたのではなかろうか?」、という気持ちの芽生えなどによるものと解釈されています。このような気持ちが支えとなって、参加者は日々の現実世界に新たに主体的に取り組んでゆくのだと考えられているのです。


5.大阪市立大学大学院生活科学研究科におけるグループ回想法の実践と研究
  大阪市立大学生活科学研究科では、平成16年度から18年度までの3年間 都市問題研究プロジェクトとして、認知症高齢者の方の進行予防のためのグループ回想法に取り組んできました。平成17年7月より、大阪市立弘済院、大阪市立大学医学部付属病院、大阪市立住まいのミュージアムと連携し、伝統的な生活空間を意識して設置した『懐かしの間』で回想法を行っています(写真1、2)。
写真1 写真2
  現在までグループ回想法を6クール行ってきました。大阪市立住まいのミュージアムは、近世の日本家屋と町並みを再現した体験型の歴史博物館で、風呂屋や薬屋 会所座敷等があり、大阪の旧市街地図や生活用品の展示をはじめ、当時の教科書を含む学校風景が再現されているコーナーもあります(写真3、4)。
写真3 写真4
  私たちが行っている回想法グループでは、1クールの10回のセッションのうち、1回はこのミュージアムの会所で回想法を行っています。普段の日常生活の中ではほとんどお目にかかることのなくなった昔の生活用品や生活空間に触れ、参加者の方の表情が見る見るうちに変化していく様子をスタッフは実感し、空間が醸し出すその力の大きさに驚いています。また、回想法の各回のセッションのために使用する道具についても、ミュージアムからお借りしています。映画のパンフレットや当時のレコード、ねんねこやカメラなど、どの物品も参加者の方にとっては、これまでの人生を想い出し、当時の感情を蘇らせるものであることは、言うまでもありません。
  大阪市立大学 生活科学研究科、医学研究科、大阪市立弘済院、大阪市立住まいのミュージアムが共同して行っているこの研究は、今後も引き続き行い、その研究成果を発表してゆく予定です。
  また、文部科学省に採択された現代的教育ニーズ取組支援プログラムによる地域支援の中で、高齢者の想い出に寄り添うことのできる想い出サポーター養成についても取り組みを始めています(写真5、6)。
写真5 写真6
  詳しくは大阪市立大学生活科学部 現代的教育ニーズ取組支援プログラム(GPプログラム)ホームページをご参照ください。


6.おわりに〜高齢期の豊かな心に向かって〜
  この研究ノートでは、これまで否定的に評価されてきた想い出話が、実は高齢期にある方にとって、重要な意味を持っていることを心理学的知見からお伝えし、これまで発展してきた回想法という援助技法についてご紹介してきました。これまではあまり顧みられなかった想い出話の力について述べてきましたが、日常の暮しの中で想い出話とどうつきあっていくか?という点については まだまだこれからの課題です。自らのこころのうちから湧き出てくる想い出の声はいつもいつも楽しいものとは限りません。時にはつらく、忘れてしまいたいことだってあるはずです。まして、人に話すということは、それを自分のこととして認め、表現する勇気を必要とします。私たちは自身のことを人に話すとき、どこまで話すかを常に相手との関係で考えています。信頼し、この人になら話してもいいと思えた時、こころの声として蘇ってきた想い出はそっと話し手と聴き手の人間関係の上に抱かれるのではないでしょうか。無理に想い出話をさせるような態度は慎むべきですし、信頼を得て話された内容をむやみに他言することは避けなければなりません。
  このような点を踏まえながら、家族や 夫婦や 地域の中で、想い出を大切に共有するという視点は、これからの高齢社会の暮しに大きな示唆を与えてくれると私は考えています。高齢期に生じる身体の変化や急激な社会状況の変化の狭間で、特に都市においては人と人との生き生きしたつながりが失われがちになってきています。こころの声−想い出−に目を向け、その想い出を人間関係の中で大切に抱き続けられるようなつながりを持ったとき、高齢期の豊かな心という大変難しい課題の糸口が見えてくるのではないかと期待して、これから多くの方と共に研究を進めていきたいと考えています。


文 献
1) はじめての心理学−心のはたらきとそのしくみ−
氏原 寛 松島恭子 千原雅代 編 創元社 2000
2) 臨床実践から見るライフサイクルの心理療法
松島恭子編 創元社 2004
3) 回想法とライフレビュー −その理論と技法−
野村豊子著 中央法規 1998
4) 回想法ハンドブック Q&Aによる計画、スキル効果評価
回想法・ライフレビュー研究会 中央法規 2001


平成16年度〜H18年度 大阪市立大学 都市問題研究 研究グループ
  曽根 良昭 生活科学研究科(長寿社会食生活学)
西川 禎一 生活科学研究科(食・健康科学)
春木  敏  生活科学研究科 (食・健康科学)
篠田 美紀 生活科学研究科(臨床心理学)
谷  直樹  生活科学研究科(居住文化史)
新谷 昭夫 大阪市立住まいのミュージアム
三木 隆己 医学研究科(老年医学)
中西 亜紀 弘済院附属病院神経科精神科医長
野村 豊子 岩手県立大学(社会福祉学)
   
  (2007.4.1)

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