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[生活科学研究科] 博士号取得者の一覧

平成21年度

平成20年度

平成19年度
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■平成21年度 博士号取得者からの一言

竹本 与志人さん
 私はこのたび構造方程式モデリングを用いて帰納的に構築した血液透析患者の精神的健康低下の発生モデルを検証した論文により、博士(生活科学)を授与さ れました。福祉系大学院のなかで最高水準にある大阪市立大学大学院生活科学研究科において博士号を取得できたことは大変光栄であり、また誇りに思っており ます。

 大阪市立大学大学院には、現在の職場である岡山県立大学への着任と同時に入学いたしました。私は大学卒業後20年間医療機関でソーシャルワーカーとして 従事しておりました(この間働きながら修士課程を修了)。教育・研究職は初めてということもあり、進学との両立は心身への負担がかなり大きかったのです が、白澤政和先生ならびに岡田進一先生をはじめ、多くの方々に支えられながら2年で修了することが出来ました。博士論文は一人で完成できるものではなく、 多くの方々のご指導やご助言、ご支援などの集大成として出来上がるものであると強く感じています。今まで応援してくださった方々に深謝申し上げます。

 私の研究は、透析医療に従事するソーシャルワーカーの評価・介入の指針を得ることをねらいに、透析患者と主介護者など患者の傍らに存在する人たちとの関 係性を科学的な手法を以て明らかにすることでした。これは透析患者を支援するソーシャルワーカーの介入を容易にするモデルを作ることを意味しています。 ソーシャルワーク分野では、対象者に起きている現象を科学的な手法を用いて検証を行った研究は皆無であり、このことがソーシャルワーカーの支援困難・難渋 を引き起こす原因にもなっています。ソーシャルワーカーの支援を容易にすることは,患者の生活改善につながります。患者の心の叫びに耳を傾け、患者のため の研究の“切実性”を常に念頭に置きながら、どのような介入モデルの提示が求められているのか、そういった視点を持ちながら研究を/継続していきたいと 思っております。

 巷では「ドクターストップ」という言葉を耳にします。これは博士号取得後に研究が立ち止まってしまうことを指します。大阪市立大学大学院で学んだ多くの 知識や経験を糧に、ドクターストップにならないよう、今後もモチベーションを絶やすことなく研究に勤しんでいきたいと思います。

徐 聖輝さん
 今年3月に学術学位を取得し、5年半の留学生活を終えるに当たり、湯浅先生と小島先生をはじめ、私を支えてくださったたくさんの方に心から御礼を申し上げます。
 この度、この場を借りて留学生活を振り返します。(一言以上になり申し訳ございません)
 私は中国からの留学生です。学部3回生の後半ごろ、食品栄養学が発展している日本に留学して、専門知識などを深く勉強しようと思い、インターネットから この専門のある大学を検索し、さらに、自分が興味のある分野の研究室を調べたところ、栄養機能科学研究室を見つけました。赤他人の外国人教授にメールを 送って自分の意志を伝えることには相当な勇気が必要でした。しかも、当時周りには留学した人がいなく、経験をきくばかりか、いけないことに決まっているだ ろうというような目線でみられましたが、とりあえずやってみようと思いました。そこで、自己紹介、研究計画および将来に対するプランなどを書いたチャレン ジーのレターを湯浅先生宛に送信し、留学するための一歩を前に踏み出しました。約一週間後、湯浅先生から留学することを励ましくれる内容の返事を頂きまし た。その時の喜びは今でも昨日のことのように覚えています。それから色んな手続きをして、約一年後、2004年9月27日に瀋陽から関西空港行きの飛行機 に乗り、私の留学生活が始まりました。
 私は日本に来てずっと恵まれていたと思います。不思議なことに最初から日本という国に違和感がなく、すぐ新しい環境に慣れました。最初の半年は研究生と して在学し、半年後の大学院入試を受けるために、緊張の毎日を過ごしました。基礎と専門科目は難しくなかったですが、英語の勉強が大変でした。私にとって 第一外国語は日本語でしたので、英語の勉強は、大学に入ってから将来的に必要性を感じ独学してきましたので、院試の勉強においても7割の以上の力を英語に 入れました。
 2005年春大学院に入学することができました。修士課程1回生(M1) の時は授業・実験・アルバイトで忙しい毎日でした。先輩から実験を教えてもらいながら、ちょこちょこ研究を進めていきましたが、朝10時に登校し、夕方6 時まで実験を終え、夜と週末にはアルバイトする生活サイクルでした。また、日本の文化に興味を持ちましたので、生け花などのイベントに参加したりして、正 直にM1の時には研究にあまり専念しませんでした。
 あっという間に一年が経ち、同級生らは就職活動を活発に行っていました。私は将来的には大学に務めたいと思いましたが、同級生から影響を受け、民間企業 で働いて社会も経験してみたいと思って、一時きすごく彷徨いました。どうしようかと迷っているとき湯浅先生が相談に乗ってくださいました。「大学に務める なら民間企業での経験は特に役に立たなかった」のようなコメントを頂き、このまま進学することに決断しました。
 博士過程一回生(D1) に入って、研究に対する熱心が向上し、初論文を投稿してからacceptまでは順調でした。しかし、その後の研究は思う通りに進まなかったので、これまで 順調な道を歩んできた私は落ち込んでしまいました。また、D1のときはアルバイトも兼ねて研究をしましたので、心身がしんどかったです。その時、D3の先 輩からアドバイスもたくさん頂き、自分のこんなときの対応などについて語ってくれまして、考え方を変えることですごく楽になりました。
 D2に入ってからは、幸いに奨学金をもらうことができましたので、今まで以上に研究に専念することができました。経済的に安定した分、研究成果を出して 日本政府に恩返ししたいと思いましたが、そう簡単に成果は出ませんでした。為せばなる。やっと前の論文とつながりのある実験データーがまとまりましたの で、湯浅先生と相談して、2本目の論文を書き始めました。一つの区切りができると、前の論文のつながりと新奇性のある新たな実験を見つかるのが一番難し かったです。毎回の試練を乗り越えるには、やはり大量の実験をして、可能性のあるところを見つけるしかありませんでした。
 D3の時は学位の取得と進路のことでフレシャーが倍になりました。結局運がよく、無事に博士論文をまとめることができ、進路も決まりました。博士過程で は、研究の結果だけではなく、色んなフレシャーを乗り越えられる強い心を鍛える過程でもあることを実感しました。本当に山あり谷ありでした。
 湯浅先生、小島先生、小西先生、曽根先生、西川先生のご指導、研究室メンバーのご協力、両親をはじめ多くのひとの支えのおかげで、博士号を取得すること ができました。まだまだ未熟な私ですが、今後先生方から教えて頂いた研究にたいする真摯な姿勢を忘れずに、歩みたいと思います。また、大学で教わったこと を基に、しばらくは日本で新たな知識・技術を勉強し、近い将来には、中国の大学で教育と研究に携わりたく、日中の架け橋として活躍していきたいと存じま す。
 最後になりますが、これまで、忍耐強くご指導くださいました先生方に重ねて感謝いたします。本当にありがとうございました。

趙 さん
 この度は、研究者としての出発点である博士(学術)の学位を授与されることとなり、大変嬉しく光栄に思います。学位を授与することができたのは、指導教 員である小伊藤亜希子先生をはじめ多くの方々の支えがなければなしえなかったものと思います。1996年4月母国である韓国から来日した私は、東京家政学 院大学住居学科での学部生活や、東京都立大学(現首都大学)建築学科での研究生生活を経て、2004年4月から生活科学研究科居住環境コース前期博士課程 に入学し、勉学を続けていました。現在は、兵庫県立福祉のまちづくり研究所で非常勤研究員として働いています。

 そもそも、日本への留学を決めた理由は、戦後何もないところから世界の経済大国にまで上りあげることができた日本人の真面目さや生活ぶりを直接自分の肌 で感じ、韓国の人々は何を学ぶべきであるか、を問い質したいと思ったからです。日本で、日本人の学生と共に学び、ベストに向けて議論し合いながら探索して きた経験は、私の人生の中で大事な宝物であり、多様性を尊重しながら生きていくことが何よりも重要であることを教えてくれました。また、研究を続けるにつ れて湧いてくる疑問や理解しきれない難問は、研究の大変さや面白さ、自分の力無さを実感させると同時に、研究者への意志を固めた動機となりました。今後 は、今までの経験や研究を活かして、国を問わず多くの人々の居住環境や暮らしに少しでも寄与できる活動をしていきたいと思います。

上西園 武良さん
私は、ベッド・ミシン・温水洗浄便座などの生活機器を製造しているメーカの技術者です。日ごろ、人の特性に適合した商品開発をどのように行うのがベストであるかを模索する毎日でした。

そんな中で、人間工学を設計に生かすための研究を行っておられた岡田教授との知遇を得ました。まさに、渡りに船という具合で、自分のポテンシャルアップと 人間工学を活用した商品開発の研究を行うため、岡田研究室に入れて頂きました。入学当初は、博士論文の想定テーマとしてベッド研究の深化を想定していまし たが、岡田教授から「人間工学的な設計論の構築」を目指してはどうかというアドバイスを頂きました。

確かに、企業サイドでは実際に日々設計を行っているわけですが、あくまで個別の製品設計であり、必ずしも基本となる設計論に基いているわけではありませ ん。一方、研究者サイドにおいては、種々の設計論の創出・研究を行っているわけですが、これを実践する機会は限られています。

従って、実際に設計現場を熟知している技術者でもある自分が、研究者の立場から設計現場にて適用可能な設計論を構築する事は大いに意味のあることであり、 これが、岡田教授の深いご配慮であることを悟った次第です。これを実際に行うに当たっては種々の困難に遭遇致しました。しかし、当初は企業での設計経験か ら編み出した萌芽的な設計手法のアイデアでしかなかったものを岡田教授のご指導や同教授との有益な議論を通じ、最終的には体系的な設計手法として構築する ことができました。

樽井 康彦さん
 この度博士の学位を授与されることとなり、大変嬉しく光栄に思います。私は、2004年に社会人入学で生活科学研究科に入学しました。それまでは知的障 害者施設で勤務していたため、まずは大学院生としての研究自体を一から学ぶ必要がありました。入学当初はほとんど手探り状態でしたが、未熟な私に対する先 生方の粘り強く的確なご指導のおかげで、着実に研究者としてのスキルを習得することができたと思います。

 さらに、研究室の院生の皆さんと議論した時間は、何物にも代えがたい貴重な財産となりました。自分一人の頭の中で考えているだけでは、どうしても思考の 幅が狭くなってしまいますが、ゼミの研究発表の場で他者からの評価や批判を受け、それに応答していく中で、研究が深まり発展していくものだと実感しまし た。このような素晴らしい環境に恵まれたおかげで学位を取得できたことは大変感慨深く、改めて感謝の思いで一杯です。

 私は2009年3月に後期博士課程を単位取得退学し、4月からは千里金蘭大学現代社会学部にて専任講師の職を得ることができました。まだまだ教員として 力不足を痛感していますが、市大研究室での経験が何よりも私の支えとなってくれていることを日々実感しています。そして、今後も研究者として博士の学位に 恥じないよう、社会的な責務を果たしていきたいと考えています。

太田 啓子さん
 私は、平成21年9月、大阪市立大学大学院で博士(学術)を取得し、大学院を修了しました。大学を卒業後、会社に就職していたころ、突然の病気。思いも かけず入院が長引き、退職を経て長期療養・リハビリをしていました。障害をもちながら社会参加をしていくことのしんどさをとても感じていたのが研究の世界 に飛び込んだきっかけです 。

 そのしんどさを様々な面での力にかえてくれたのが大学院生活だったと思います。大学院では今後につながる多くの人に出会い、多くの経験をしました。大学 院を修了した今は、現場で障害のある人の職業訓練に携わり、またインクルーシブデザインの調査研究で障害のある人の社会参加を考えています。

 大学院時代は、多くの先生や仲間に支えられ励まされてきました。堀智晴先生は、博士課程から私を受け入れてくださり、いつも私の健康を気にかけながら指 導くださいました。また、論文を執筆するにあたっては、何より調査を快く引き受けていただいた方々の協力なしにはできなかったことです。彼らは私の生き方 にも影響しました。たくさんの人たちに感謝しながら今後も研究を進めていきたいと思っています。

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■平成20年度 博士号取得者からの一言
戸嶋 ひろ野さん
 私は栄養士になりたいと思い生活化学部食品栄養科学科に入学しました。しかし、学部4回生の卒業研究に取り組む中で、未知の事柄を自らの手で明らかにし ていくことのおもしろさを知り、入学当初には考えてもいなかった進学を選びました。それでも私にとって博士課程の敷居は高く、自信をなくし不安になること が何度も何度もありました。学位の取得が果たせたのは、指導教官である西川先生のご指導とあたたかい励まし、研究室のみなさんの協力のおかげだと心から感 謝しています。

 生活科学という分野は、生活に密接に関わるテーマを対象とする「身近な」学問であることが最大の魅力と感じています。その分野での研究に携わるにあた り、「研究成果を生活の中に活かすことができる」研究をすることを目標にしてきました。食品衛生学は、栄養士のイメージからはピンとこないかもしれません が、実は食事に関わるいかなる業務にとっても重要です。この分野の研究に取り組むことで私自身がその重要性を再認識すると同時に、より多くの人に食品衛生 について知ってもらいたいと感じるようになりました。今後は、研究成果を生活者にわかりやすい形で提供することができる研究者を目指したいと考えていま す。

 学部入学から博士課程を修了するまでの長い間、西川先生をはじめ多くの方々のお世話になりました。先生方は、私が卒業した今でも学生だったときと変わら ず接してくださるので、大阪市立大学には母校という特別な居心地のよさを感じます。大阪市立大学で学んだことを貴重な財産として大切にしていきたいと思い ます。

高井 逸史さん
 私は平成12年3月に大阪市立大学大学院生活科学研究科修士課程を修了し、15年間理学療法士と勤務していた泉州・岸和田にある老人病院を平成19年2 月で退職し現在、堺市・鳳大社近くの大阪物療専門学校理学療法学科で働いています。臨床現場の第一線で理学療法士という職能集団の中で培われ、育まれた実 践内容をベースに博士論文を執筆することとなりました。この度、学位授与を戴くことになり指導教授の宮野道雄先生をはじめ多くの先生方のご指導・ご鞭撻の おかげだと思っています。私は論文博士のため、学術誌に投稿・掲載された論文の内容を、どのようにまとめて博士論文に練り上げるか?宮野先生から多くの助 言・指導を頂き、本当に時間を費やしました。ひとつひとつの実践(現場経験)がある理論(原理原則)に基づき積み上げ磨きあげると、まさに実践と理論とが 融合した論文に仕上げることができました。

 宮野塾(宮野研究室)の門を叩いて早12年の月日が流れます。入塾当時は現場一辺倒の経験主義の小生に対し、塾生の方々から多くの叱咤激励を頂戴しまし た。何もかも経験知で勝負しようとしてしまい、大きな挫折を味わうこともありました。当時、塾番頭の北本裕之先生(現 美作大学)をはじめ、第一塾頭の延 原理恵先生(現 京都教育大学)、第二塾頭の河本ゆう子先生(現 大阪人間科学大学)の研究手法など勉強させていただき、日々の実践の中でどうやって理論 の構築ができるか、模索と試行を繰り返しました。また、塾長宮野先生から「一つのテーマを10年やり切る」ことの大切さを教えて頂きました。さらに、学会 誌執筆の機会など与えて頂き、実践と理論の構築を考えるチャンスを数多く頂きました。生活科学研究科・後期博士課程の「人材育成の目標」には「理論と実践 の両面から生活科学研究の最先端を担う研究者を育成します」と、書かれています。まだまだ、この人材育成目標にはほど遠いですが、これからもひた向きに、 前向きに実践・現場の立場で勉学精進していく所存です。最後になりますが、学位授与を最も慶んでくれた妻には論文執筆を陰で支えてくれ、感謝の言葉もあり ません。

久村 文恵さん
 まさか、この文章を書ける日が来るとは思ってもみませんでした。本当に先生方の、ご指導とご尽力のおかげと感謝しております。また職場においてもご理解とご支援を示していただき感謝の気持ちでいっぱいです。

 平成3年に現在の職場である大学病院の小児科に勤務してから、患者様の腎臓の組織を調べる腎生検では数多くの標本作成に従事してきました。また、もう1 つの仕事である研究においては、腎臓病のメカニズムを調べるためのモデルラットの開発や、培養細胞を使って薬の効果を調べること、また、遺伝子導入の実験 においては、蛋白レベルでの検査法を確立するため、免疫組織化学検査法・ウェスタンブロット法を用いて、数千枚のスライドを染色するなど、腎臓に関する研 究に十数年携わってきました。そんな中いつしか、自分の研究をしてみたいと思うようになり、社会人コースが大阪市立大学大学院生活科学研究科にできたのを 知り、入学させていただきました。しかし、社会人としての博士号取得は、決して平坦な道のりではありませんでした。 入学した直後に、火事にみまわれ、ご たごたの中で実験を始めることとなりました。また、職場では、締切りのある仕事が多く、仕事の後に自分の研究をするという毎日でした。 最初の1年半は、 なかなか結果が思うように出せず、四苦八苦しておりましたところ、先生からのご助言によりようやく結果が出せるようになりました。最後の1年間は、2人の 両親の最後を看取りながらの研究でした。何度もくじけそうになり、自分の研究をあきらめようと思うことが、度々ありました。それでも続けることができたの は、先生方の寛大さと御厚情を頂いたおかげです。また、腎臓病を患い長年透析を続けていた父親の存在があったからです。

 わたしにとっての博士号取得とは、言葉で言い表すことができないくらい感慨深いものです。まだまだ未熟な点がやまほどある私ですが、先生から教えて頂いた研究に対する真摯な姿勢を忘れずに、歩みたいと思います。
 これまで、忍耐強くご指導くださいました先生方に重ねて感謝いたします。心より御礼申し上げます。ありがとうございました。


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■平成19年度 博士号取得者からの一言
加藤 悠介さん
 私は、2007年3月に大阪市立大学大学院生活科学研究科博士課程を単位取得退学し、現在、豊田工業高等専門学校建築学科で働いています。働き始めで慣 れないことも多い状況のなかで、博士論文を執筆し、このたび博士の学位を授与されたのですが、これは指導教授はじめ多くの人の支えがなければなしえなかっ たものと思います。とりわけ、多くの同世代の研究仲間に恵まれました。他学部・他大学の博士課程に在籍する友人との専門分野に関する様々な意見交換を通じ て、私自身の研究に対する姿勢や価値観を構築することができました。また、日頃の研究活動ではゼミの先輩や後輩に多くを助けられました。先輩からは分析が うまくいかないときなどに的確なアドバイスを頂き、後輩の新鮮な目線からの何気ない一言が大きな発見につながりました。

  私は、1997年に学部に入学し、実に10年もの間、生活科学部・生活科学研究 科にお世話になりました。今、学生を教える立場となって改めて10年間で得た生活科学の知識や考え方の重要性を実感しています。素晴らしい学びの場を提供 してくださったみなさまに深く感謝いたします。

乗鞍 敏夫さん
 私は大阪市立大学生活科学部(研究科)にて、9年間を過ごしました。なお、前期博士課程修了後、3年間の企業勤務をしましたので、大学入学12年後に後 期博士課程を修了することとなりました。博士号取得者からの一言の欄ではありますが、湯浅・小島研究室のメンバーとの思い出を中心に、当時の心境を思い出 しながら振り返ります(一言以上に長々となってしまいました)。
<学部1回生>
 中学校の家庭科での調理実習が楽しかったという単純な理由で、食品栄養科学科に入学しました。正直なところ、勉強に対する意識の低い学生でした。専門科目も少なく、教養科目ばかりであり、勉強への興味・関心が低い状況でした。
 しかし、自由な校風の中、クラブ活動とアルバイトに熱中し、のびのびとした大学生活を満喫する事ができた貴重な期間であったと思います。
 1回生では、湯浅先生の専門科目の授業がありました。当時の湯浅先生は、スーツ姿がダンディーな先生というイメージでした(今はどうでしょうか?)。
<学部2回生>
 相変わらず、勉強に対する意識の低い学生でした。小島先生が着任された年になると思います。当時の小島先生は、初々しく可愛らしい感じでしたが、まだ小島先生と接する機会がありませんでした。
<学部3回生>
 午前の授業は専門科目の授業ばかりでした。専門科目は楽しくなってきましたが、成績はパットしない状況でした。また、湯浅先生の専門科目でも学科で2名 の追試験者となってしまうような情けない学生でしたが、どの教科でもギリギリ単位は落とさない学生でした。
 午後の授業は学生実験がほとんどであり、調理実習、臨床栄養学実習、集団給食実習、小学校への教育実習もありました。学生実験では、湯浅・小島先生とも に遅くまで熱心に指導をして頂いた事を覚えており(勿論、その他の先生からも熱心な指導をして頂きました)、真面目な先生というイメージが定着しました。 なお、調理系の実習における僕の主な役割は、力仕事と皮剥き(得意分野)でしたが、担当教員のみならず同級生からも色々と教えてもらいながら、何とか専門 性を身に付けていきました。また、臨床栄養学実習では、小島先生の授業を初めて受けました。親しみやすい学生に近い存在の先生でした。
 3回生の冬になって、ようやく(遅い?)将来の進路について考えました。身近な存在であった大学の先生に対する憧れがあり、大学院への進学することにしました。
<学部4回生>
 4年生からは勉強・研究に没頭しようと一大決心し、希望した湯浅・小島研究室の学生となりました。当時の状況を振り返ると、私だけではなく大学院から入 学された先輩(とても愉快な方々)も、なかなかの問題児が勢揃いしており、研究室には研究・勉強に対する意識の低い学生が多くいました。湯浅先生からは、 「こんな状態は前代未聞だ!」「そんな意識では、研究をする資格がない!」と何度も怒られては、小島先生に慰めてもらう日々でした(湯浅先生は手をプルプ ル震わせながら怒る癖があり、当時の学生達でそのモノマネをしていました)。私は大学院の進学を決めていたものの、「自分は本当に研究が好きなのか?」 「大学院生さらには研究者として大丈夫なのか?」という不安な気持ちがあったので、積極的に湯浅先生とdiscussionをするように心がけるようにし ました。その結果、専門知識が身についたのみならず、興味深い研究成果が出た時の湯浅先生の笑顔を研究の励みにする事ができました。さらには、小島先生と 博士課程のケネディさん(愛称ケンさん:ガーナからの留学生)から実験手技を学びながら研究を進めていく中で、実験に対する興味を深めることができた1年 間でした。
<前期博士課程1回生>
 研究室の先輩として恥ずかしくない姿勢を示したいと意気込んだ1年間でした。4回生の後輩からも刺激を受け、実験に関するdiscussionを通し て、多くの事を学ぶことができました。ゼミ発表の必要性に迫られて読んでいた論文を、知的好奇心に駆られて読みはじめた頃でした。私は、論文を読んでは分 からないところをケンさんに教えて貰う”ケンさんっ子”として専門知識を吸収していきました。そして、私の後期博士課程の3年間において、ケンさんは常に 理想の先輩像でした(私はケンさんのような先輩にはなれませんでしたが・・・)。また、国際協力機構(JICA)の事業として研究室のメンバーとなった ニャンコ先生(現、ガーナ 野口記念医学研究所の所長)とは、共に実験をしたり、欧文誌の執筆のアドバイスをして頂きました。このように、良き出会いにも恵まれた結果、研究の基礎を 学んだ1年間でした。
 大学院1回生の冬は、就職か進学か?という将来の進路を決断する時期になりました。この頃、同級生が社会人として苦労、活躍している話を聞いており、周 りがどんどん大人になっていくような焦りがありました。そこで、私も就職活動をすることにしました。なお、就職活動は思うように進まない時期もありました が、最終的には納得のいく就職先に内定を頂くことができました。
<前期博士課程2回生>
 麻疹というアクシデントもありましたが、概ね順調な研究生活でした。これまでは、研究の知識は、湯浅先生、小島先生、ケンさんに”教えて貰えるもの”と いう間違った甘えがありました。この頃から次第に、専門知識は”教えて貰うもの”から”自ら習得するもの”に変わってきました。なお、湯浅先生から”勉強 の仕方”および”研究デザインの仕方”について指導して頂く機会が多くなりました。
 1学年上の大学院の先輩には、研究および専門知識において、ほぼお世話になる事ありませんでしたが、先輩が修了されてはじめて、学生レベルでの研究室の 運営においてその存在の大きさに気が付きました。この年は私が先輩として研究室に貢献しようと意気込んでいましたが、今振り返るとその方法に問題があり、 少し孤独感を感じた1年間でした。
<後期博士課程1回生>
 尊敬できる上司・先輩方に恵まれた3年間の社会人生活では、多くの事を学ぶ事ができた期間でしたが、研究者としてこのままで良いのか?と自問自答する 日々でした。これまで、食品栄養科学科への入学、前期博士課程への進学、企業への入社は、正直なところ明確な自分の意思がありませんでした。しかし、社会 人生活で自由な研究環境を失い、湯浅・小島研究室での自由な研究環境が、いかに有り難い環境であったかを再認識することができました。また、研究者として 生きていきたいという明確な意思が生まれました。
 そこで、湯浅・小島研究室に戻り、後期博士課程の学生となりたいと考えていることを先生方に思い切って相談しました。すると、先生のお宅に温かく迎えて 頂き、小島先生の手料理を頂きながら、色々と相談に乗って頂いた結果、再度大学院生として湯浅・小島研究室の学生となりました。
 自分の興味があるテーマを研究できる環境に対して、これまでのうっ憤を晴らすかのように、がむしゃらに研究に取り組んだ1年間でした。3年ぶりにクリー ンベンチに座った際には、懐かしい環境に対してなのか?切望した環境に対する興奮なのか?今でも分りませんが、フワフワとした不思議な感覚がして、涙が溢 れてきました。私にとって、自由な研究環境は神聖なものでした。しかし、僕の目から見た当時の湯浅・小島研の学生は、”指導された事を遂行する技術職員” の集団のように映り、これまでの研究室の自主的な研究環境とは異なる状況に違和感がありました。研究に対する思い入れが強かった事もあり、4回生や大学院 生に対する態度も必要以上に厳しくなってしまった事も反省すべき期間でした。
 湯浅先生には、研究の指導に留まらず、生活面でのゆとりが研究者には必要だという事も何度か指導して頂きました。しかし、この頃の私は、先生の言葉に耳を傾けようと試みましたが、なかなか素直にその指導を受け入れられる心のゆとりがない状況でした。
 先生方からは、看護専門学校の非常勤講師のアルバイトを紹介して頂きました。このアルバイトは、後期博士課程での3年間における経済的な支えや教育業績 となりました。さらには、こもりっきりであった研究室の外の空気を吸う気分転換にもなり、「大学教員になりたい」という希望を膨らませることができまし た。
<後期博士課程2回生>
 前年度に取り組んだ研究成果がアクセプトされたことから、周囲に目を配る心のゆとりが少しできました。後期博士課程に進学した黄さん、進学予定であった 徐さんをはじめ、研究室のメンバーとdiscussionや研究室のことについて話し合いをする機会が増えました。
 4月には、サンフランシスコで開催された学会に小島先生と発表しに行きました。研究のみに留まらず、私生活についての相談や、先生のDr.コースとポスドク時代の話まで聞くことができました。
 この頃、ラットに噛まれてアレルギーが発症し、保健室に行ったところ、救急車で病院に運ばれるアクシデントがありました。そこで、ラット分離肝細胞を用 いた研究から、肝がん細胞を用いた研究テーマにシフトさせましました。この頃、韓国 中央大学から魯先生が来られており、魯先生が持ってきた sambongという植物の生理活性を調べる研究をはじめました。ろ先生は、関西おばちゃんを代表するようなエネルギッシュかつ強烈な個性の持ち主でし た。しかし、魯先生にオーラに負けないような意気込みで、研究のdiscussionおよび交流した事は楽しい思い出となりました。なお、私は魯先生の息 子と同い年であり、先生からは色々と可愛いがって頂きました。
<後期博士課程3回生・その他>
 後期博士課程を決意した時点で覚悟はしていましたが、この頃は将来に対する漠然とした不安を募らせており、精神的に不安定な時期であったと思います。湯 浅・小島研では、「研究に関して、上下関係はない。」という指導方針でしたので、これまでも自由に発言をしていましたが、湯浅先生と研究の discussionをした際に、湯浅先生の研究に対する考え方を自分の中で納得して消化・吸収できないと感じる時も多くなってきました。この頃の私は、 研究にて「何を明らかとするのか」よりも「新しい研究手法」を欲していたのだと思います。また、実験するよりも、近年の新しい研究手法を勉強する事に関心 が高く、研究者として望ましくない状況のまま、意味不明なフラストレーションを抱えていました。
 この頃、研究熱心であるが、ふてぶてしい態度で不愛想な後輩と好奇心旺盛かつ可愛げはあるが、落ち着きのない後輩が研究室のメンバーに加わり、この頃の フラストレーションを解消してくれました。さらに、6月中旬には現職の青森県立保健大学 栄養学科の職が内定し、落ち着きを取り戻すことができました。
 10月からの青森生活の前に、学術誌への投稿、台湾の国際学会、韓国 中央大学(ろ先生所属)での発表、さらには初めての一人暮らしの準備と忙しい生活でした。青森での新生活では、教員としての勤務に加えて博士論文の執筆と 公聴会の発表準備をしていました。博士論文では、学術誌に投稿・掲載された論文の内容を、どのようにまとめて博士論文とするべきか?について時間を費やし ました。博士論文の執筆および公聴会の発表準備は、集中力を要する仕事であり、勤務後の疲れた状態では思うように進まない状況でした。そこで、勤務後はす ぐに寝るようにし、早朝の頭の冴えた時間帯を活用し、夜9時就寝、朝4時起床というお年寄りスタイルで、雪だらけの青森で博士取得の準備をすすめました。
 そして、湯浅先生、小島先生、山本先生、羽生先生のご指導、研究室のメンバーの協力、青森県立保健大学の先生方の温かいご支援、さらには両親をはじめ多くの人の支えのおかげで、博士号を習得することができました。心から感謝を申し上げます。
 かつては、博士の人は賢い人と思っていましたが、今では博士号は苦労の証と思っています。また、卒業式に湯浅先生から言われた「博士号はただのライセン ス。ライセンスを取った後に何をするかが重要である。」という指導を忘れずに、大学教員としての研究・教育の業務に励む所存です。

尾立 純子さん
 私は大学を卒業してから、病院で働き、次の職場として大阪市立環境科学研究所附設栄養専門学校で研究員として、栄養士の教育養成に携わり、2008年3 月に定年退職致しました。振り返りますと、34年間の長きにわたる研究員と教員としての生活でした。研究員としては、研究業績を上げることが暗黙の指令で した。教育のフイールドでできることを考えると、興味があちこちと分散しながらも、実験を教えていただいたり、または調理との融合を考えていました。入っ た時はまだ紀要らしきものはなかったのですが、卒業研究として紀要に掲載するために、提示できる事は何かと常に考えていかねばなりませんでした。一年間で 最低でも学会発表一回、それを論文にすることを自分に課していましたが、それをしなくてはだめですと研究所の先輩に言われていたのが耳から離れませんでし た。今から考えると、研究所の諸先輩や現役の方々から多くのことを教えていただきましたし、学生と一緒に研究所の実験室に夏休み通っていたような時期もあ りました。

 一方、ご縁があり、大阪市立大学で非常勤として給食経営管理理論と実習(7年間)を教えるようになって9年目を迎えていました。客員研究員として湯浅研 究室に名前を連ねていただくようになりました。そして、今迄の論文に筋を通し、枝葉を取っ払い、すっきりしたものにするための実験と調査が新たに加わりま した。慣れない動物飼育から解剖まで、手取り足取り教えていただき、解剖時には学生と私の悲鳴が廊下まで聞こえていたかもしれません。このような定年前の 数年は、ストイックな生活にも拘らず、日常業務はもちろんこなさなければならず、特にU-ターン組の再チャレンジの年齢幅の大きい学生の期待にこたえて、 栄養士で100%の就職を斡旋してやらねばならないことが私のルーチンでした。そして卒業生の管理栄養士合格率を落とさないことも、仕事として加わってい ました。最後の年は学生が相談に来ても、目はパソコン、耳だけ学生の言うことを聞きと、先生おかしいのではという精神状態まで追い詰められました。しか し、先輩方はこの努力や苦労なくしては取得されてないと思うと、少しは食べられなくても寝られなくても休めなくても大丈夫、死にはしないと思っていまし た。終始変わらず指導していただきました湯浅教授、小島准教授、亀井研究主幹には、一日の内の何十時間もお付き合いいただいた日数も数多く、本当に感謝申 し上げます。そして、常に私に大丈夫!と声をかけてくれた栄養専門学校の佐伯孝子教員、そして公聴会にたくさんの卒業生が来てくれ、また、副査の先生を始 め、たくさんの人々に支えられて取得できたことを本当に嬉しく思っています。最後の最後に英語とフランス語の試験があり、最後まで力は抜けず、やっと3月 24日の博士号取得日には学長から「今日は28歳から65歳までの方々がおられ」とお祝いの言葉をいただき、私は、後ろから二番目?三番目?と、皆さんの 後姿を追ってしまいました。

 栄養学が日進月歩する中で、青年層の食生活は乱れ、特にミネラル摂取まで気にしないような生活では益々、生活習慣病が増加していきます。これからも新し い職場(帝塚山大学現代生活学部)と非常勤での大阪市立大学生活科学科と前任校で、亜鉛に着目したこの成果を継続し、何かが出来ればいいかなと考えていま す。研究の大変さを教えていただき、一生の内にこの様な感動を与えていただき感謝に堪えません。

林 暁淵さん
 1998年2月韓国ソウルにある梨花女子大学を卒業し、その3月に大阪市立大学生活科学研究科に研究生として留学、その後、修士課程を修了し、博士課程 に進学しました。2001年4月から博士課程に進学しましたが、2004年秋から結婚と出産・子育てを理由に3年を休学、間違ったら博士課程をあきらめた かもしれない私を指導教授である白澤政和先生に励まされ、やっと今年の3月に修了することができました。今思えば、波乱万丈な大学院時代でしたが、その時 が本当に懐かしいのは、私だけではないと思います。2008年4月からは母校である梨花女子大学社会福祉専門大学院において、Post-docとして研究 活動を続けております。高齢者福祉を研究する者として、韓国も今年から日本の介護保険制度である老人長期療養保険制度が始まり、日本での経験がとても役に 立っています。日本での経験や研究を活かして、これからも韓国の高齢者福祉に少しでも寄与できる活動をしていきたいと思います。

廣瀬 美千代さん
 私は大阪市立大学大学院生活科学研究科を修了し、博士(学術)の学位を授与されました。学部も同じく、生活科学部社会福祉学科(旧名称)に所属しており ました。学部卒業後大阪府の高校で教壇に立っておりましたが、10数年の後、生活科学研究科で再出発となりました。大阪市立大学とは年月だけでなくその縁 の深さからも、終了した今も博士研究員として同研究科に籍を置かせていただいております。
 学位論文のテーマである「家族介護者の精神的側面」の探求に導かれた根拠は、客観的にみえる困難さの程度と自身の感じる心理学的な側面は別の次元であ り、困難な状況に陥るほど、それと共にポジィティブな部分を見出すことができる介護者もいる、そしてそのポジィティブな部分は、苦労をしなければ決して得 ることがなかったものであるという自身の信念によるところが大きいものです。とはいうものの昨今の在宅における介護事情は、負担感ばかりがつのる先行きの 暗い状況で悲惨な結果に陥るといった事実もみられます。しかし、約30年にも渡る膨大な介護負担感研究が目指してきたものは、介護者の現実だけをみること ではなかったはずです。「現実をみる」研究から「現実をいかに構築する」研究に成り得るか、研究者のパラダイムチェンジが一定方向からの見方を変え、真の 家族介護者支援とは何かが明らかになることが望まれます。
 このような考えから、学位取得後すぐに学位論文の課題である「夜間介護経験者の肯定的側面」を質的研究にて明らかにし、介護者のアンビバレントな精神的 側面を構築的な研究のパラダイムで捉えました。研究者は「すでに前提になっている」ことに疑問をもつことで新たな研究視点が生まれることを確信するもので す。
 私はこれからの長い研究者生活を迎えるにあたり、「驕ることなく、いつも初心で、前提に対して考え」そして、「支援を求める人のため」の研究を目指し、 学位取得者としての使命と責任を深く心に深く刻むものです。学位取得は私の人生に対するひとつの評価であり、節目であり、自信を与えてくれました。
 ここに、学位取得に至るまで熱心に指導して頂きました諸先生方、研究を支えて下さった研究室の皆様、介護者の皆様に心より感謝の意を申し上げます。

亀谷 小枝さん
 私は、縁あって兵庫大学の助手として勤務しながら、大阪市立大学大学院生活科学研究科前期博士課程(修士課程)に社会人学生として入学し、修士課程を修 了後、そのまま後期博士課程(博士課程)にも在籍させていただき、このたび学位を授与されました。修士課程における授業を受講する以外はほとんど月曜日か ら金曜日は職場である大学で仕事をし、夜中に研究テーマに関する勉強や論文作成を行い、仕事が休みの土・日曜日に大阪市立大学の研究室で実験を続けまし た。仕事をしながらのため、研究にさける時間が制約され、実験が思うように進められなかったり、論文作成等も集中できなかったりで、何度も両立するのは無 理ではないかと思い悩みました。その度に、諸先生方や研究室の学生さんから研究に対する助言、助力や励ましをもらい、新たな気持ちで研究に取り組んできま した。

 研究内容に関しては、修士過程の時は食品機能化学研究室で香辛植物の一種であるヒハツモドキの抗酸化活性成分の単離・精製を行い、博士課程では栄養機能 科学研究室でアロエの一種であるケープアロエのガン細胞増殖抑制効果のメカニズムと活性成分の研究を行いました。修士課程、博士課程でテーマを異にするこ とで、違う研究方法や考え方、アプローチの仕方にふれ、貴重な知識と経験を得ることができました。また、諸先生方から研究に対する姿勢や学生への指導につ いても多くのことを学ばせていただきました。

 微力な私が仕事と両立し学位を取得できたことは、最後までご指導いただいた指導教官はじめ、本当に多くの方々との出会いと助けがあったからだと感謝して おります。この大阪市立大学大学院で学んだ経験を生かし、これからも研究と教育に携わっていきたいと思います。

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■平成18年度 博士号取得者からの一言
蘇 珍伊さん
 私は、この3月大阪市立大学大学院生活科学研究科を修了し、中部大学に就職し、児童福祉分野の専門職の養成・教育に携わることになりました。6年間住み 慣れ、私にとっては第二の故郷である大阪を離れるときにはとても寂しかったです。振りかえってみると、大学院の受験や、論文執筆で大変だったという思いも たくさんありますが、素晴らしい人々に出会い、恵まれた環境で勉強ができたことは何よりも嬉しく思います。また、韓国で社会福祉士として働いていた時、有 能で熱意もある同僚たちが社会福祉の現場を離れていくことから、また、自分も燃え尽き症状を経験したことから、現場の人々に対する支援も非常に重要である と考えました。こういう思いから福祉従事者を研究テーマとし、博士号を取得することになりましたが、今までの研究は、研究の方法やプロセスを学ぶ段階で あったため、これから、現場の福祉従事者に少しでも役に立つような研究になるように頑張りたいと思います。

 学位が授与されるにあたり、人の可能性を信じ、日本語も全く話せなかった私を研究生として引き受け、学位取得に至るまでご指導してくださった指導教官を はじめ、多くの先生方に心より感謝申し上げます。また、いつも楽しく研究に取り組むことができるように支えてくださった研究室の皆様方にも重ねて御礼申し 上げます。なお、調査にご協力いただいた実践現場の方々にもこの場を借りて御礼を申し上げたいと思います。

 私は、大阪市立大学大学院で学んだ知識を土台にして一人前の研究者・教育者になるためにその第一歩を踏み出しました。近い将来には母国に帰り、日本での 研究実績や教育経験を活かして活躍できる日を迎えるように頑張りたいと思います。

木村 直子さん
 私は大阪市立大学生活科学部を卒業し、大学院生活科学研究科に進学、そして博士(学術)の学位を授与されました。学位取得までの9年間(18歳から27 歳まで)大阪市立大学生活科学部(研究科)で過ごしました。この9年間は、本当に濃密な時間でした。学部から博士課程まで進学した私にとって、大学は時に 開かれた学問の場でありましたが、社会から隔離された場でもありました。

 大学院(修士課程)に進学して間もない頃は、同じ研究室の後輩たちと過ごす楽しい時間や、「研究」に没頭していました。しかし大学(大学院)で研究室に こもり、一人研究する毎日が6年を過ぎた頃から、私の中に大きな疑問が生まれました。「何のために研究をしているのか?」疑問が焦燥感に変わるのに、時間 はかかりませんでした。その後、縁あって大阪市の家庭児童相談室で家庭相談員としての職を得ました。家庭児童相談室での臨床経験から、現場の実践と科学的 な研究を繋ぐ必要性をより強く感じ、「何のために研究をしているのか?」という疑問は、研究を進める上での原動力に変わりました。昼間は家庭相談員として 働きながら、夜大学へ行き博士論文をまとめるという二重の生活を送り、学位を取得しました。この二重の生活を続けられたのは指導教官の理解があったことは もちろん、研究科の諸先生方からの励ましや、研究室の仲間の支え、そして時には事務の職員さんに無理を聞いてもらったり、大学の守衛さんと研究室の閉鎖時 間について口論になったり、博士論文作成途中で投げ出したい気持ちを同じ境遇にある友人と朝まで飲み明かし語り合ったり・・・・・・ここには書ききれない ほど本当に多くの人に支えられました。学位を取得した今、研究室での楽しい時間も、もがき苦しんだ日々も、私にとって必要な時代だったのだと思っていま す。学位取得を目指し、研究室でもがき苦しんでいる後輩たちには、是非ソト(社会)の空気を吸って、原動力を得て欲しいと思います。そしてこれから学位取 得を目指す方々には、学位取得の道を苦しくするも楽しくするも自分自身であるということを知って欲しいと思います。

 現在私は鳴門教育大学講師という職を得ることができ、研究のみならず教育にも携わるようになりました。私のゼミの院生を見ていると、時おり自分がもがき苦しんだ日々や楽しかった日々を思い出します。

岡本 秀明さん
 博士号取得は、大学院進学を具体的に考え始めた大学3〜4年生の頃からの夢であり目標であった。私にとっては、かなり遠い夢であり目標であった。しかし ながら、今このように博士号取得者の声を執筆できるに至り、本当に嬉しい限りである。あの頃から10年近い歳月が経ってしまったが…。

 大阪市立大学大学院生活科学研究科では、修士課程1年次から、研究という行為の意義や社会調査の方法、ゼミ発表とディスカッション、プロジェクト研究参 加と調査地域調査、社会福祉専門職および高齢者へのインタビュー調査の実施、報告書の作成、学会発表の意義と発表準備指導など、研究生活に求められる内容 を多岐にわたり助言・指導・経験を得ることができた。しかも、複数の教員からこれらのことを得ることができたため、物事の捉え方を多角的に学ぶことができ たのである。このようなことは素晴らしい教員陣が揃っていないとなかなか実現できないことではなかろうか。

 このような恵まれた環境の中で、大学院生としての最大目標の1つといえる博士号を取得するに至った。その過程は私にとって大変厳しいものであったが、そ の厳しさを乗り越えてきたからこそ、以前の自分自身には想像できなかったほどの研究に関する一定の力を身につけることができたのであろう。

 この原稿を執筆するにあたり改めて大阪市立大学のホームページを閲覧(2007年9月)していたところ、「世界大学ランキングで世界232位(日本12 位)にランキングされました」というニュースが掲載されていた。博士号を取得した大阪市立大学は、このような日本ではもちろん世界でも大学ランキングに入 るような大学であることを改めて認識し、ここでの学位取得の素晴らしさ、感動、重みを再確認する機会となった。

 大学院生時代、結果としての最終目標であった博士号取得であるが、その目標を達成してしまえばそれは単なる研究者としてのスタートにすぎないという厳し い現実がある。今後は、本学の生活科学研究科から得た博士号に恥じないよう、研究街道を走っていくことになるであろうし、そのつもりである。

Meraz,Ismail Mustafaさん
 Time is always pushing life to move on to the new stage keeping the memories behind you. Some of those memories are really sweet and want them back in present again and again. Being a graduate in Microbiology, I had a desire to accomplish my Ph.D. in a good research-oriented environment to fulfill my aim of life of being a scientist and I completed my doctoral degree last year from the department of Food and Human Life Science, OCU under the Japanese Government Scholarship (Monbusho) with my paramount satisfaction. Although, I left the Department one year back and moved to USA in the University of Texas Health Science Center at Houston, but my memories over there are still vivid and fresh. The days that I passed in the Department in OCU were very nice and I learnt so many good things that couldn’t have been achieved if I didn’t passed my days in Dr. Nishikawa’s laboratory. If I write something about that time, I should ruminate some sweet events that will always be fresh in my mind.

 I worked in an enteric laboratory under the supervision of Professor Yoshikazu Nishikawa. I had a very good time with him. The way he teaches and the way he supervises amused me a lot and I gained sustainable research knowledge under his kind mentorship. I astonished to see his intellectual ability in troubleshooting of research problems. I am very grateful to him as we both still exchanging research views frequently that reduces the communication gap remarkably.

 The research friendly environment of the laboratory was fantastic that inspired me to do research and made me thirsty to do more deep research with full analytical ability. The laboratory facilities played a vital role in research. Dr. Nishikawa was very generous to support all kind of facilities get the research done.

 I was inspired a lot to see my fellow Japanese students for their sincerity and dedication to the research. They are very helpful in nature and helped me numerously to be familiar with Japanese language and culture. Weekly seminar and discussion on recent advancement of science in our laboratory journal club tremendously amuses me and makes me curious to know about new scientific discovery. Innovative idea of our lab to go for a recreation tour once a year refreshes us from the past clumsy and ignites our instinct to hunt the new findings.

 I must say something about the Japanese culture that I learnt from Osaka. I can still remember the Japanese party where I saw a variety of Japanese traditional food with nice Japanese decoration. Sushi is wonderful, I love it and I still feel the taste of it. Tea ceremony is another kind of traditional event I attended several times and liked it very much. Green Japanese is still my favorite. Over all I found the Japanese culture is unique that increases the nationalism among people, teach people to be discipline, modest, punctual and hard-worker. I feel proud myself to be familiar with the nice culture.

 In conclusion, I would like to extend my deepest gratitude, appreciation and respect to my favorite supervisor for his boundless suggestions, honest inspiration and priceless guidance. Moreover, I am very thankful to other teachers of the department of Food and Human Health Sciences and the stuff of the faculty of Life Sciences unbound cooperation.

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■平成17年度 博士号取得者からの一言
鳥海 直美さん
 高齢者・障害者の地域生活支援の中軸であるホームヘルプサービス提供組織には、サービス提供責任者と称されるコーディネーターが配置されている。ケアを めぐる多様な関係性の調整を担うヘルパー・コーディネーターの役割実践の内実を実証的に明らかにする調査研究をもって学位を申請した。コーディネートと は、調整,連携,協働という機能をとおして、各々の特性を最大限に発揮するための関係性にかかわる概念であり、ひいては、地域社会にみられるさまざまな関 係性の変容過程であるといえる。このような一連の過程を論理的に示すには研究課題はあまりに多く、今後はそれらにいかに主体的に取り組むかが問われてい る。

自身に引き寄せてみれば、ケアにかかわる実践研究とは、脆さを抱えた生の偶有性や、偶然に生まれた社会の不合理に対して希望を見出し、他者と希望を分かち 合う方法を探る作業に他ならなかった。研究を通して、多くの実践者や当事者からケアにかかわる苦悩や葛藤を聴いてしまった。しかし、他者の苦悩や葛藤とつ ながり、ときに巻き込まれることが転じて、自らの生に対峙する力になることも知ってしまった。

学位が授与されるにあたり、研究にご協力いただいた方々に御礼を申し上げます。

また、大学院で再び学ぶ機会と実践研究に取り組む十全な環境をご提供いただき、学部時代から学位取得に至るまでの道程を導いてくださった先生方に心より感 謝申し上げます。研究を支えてくださった研究室および大学関係者の皆様方にも重ねて御礼申し上げます。

辻 壽一さん
 2000年4月、46歳になった春、大阪市立大学大学院生活科学研究科で再び学ぶことになった。市大の建築学科を卒業してから、建設会社、設計事務所、 また損害保険会社の不動産部で自社ビルなどの建設企画、維持管理、税務管理業務等を経験した。そして、1999年3月に損害保険会社を退職し、建築設計事 務所を開設するともに大学院に進むことを考えた。

大学院では様々な出会いがあった。常に触発と研究への道筋を与えてくださった諸先生。我が子ほどの年齢差がありながら親しく話し掛けてくれた研究室の皆さ ん。そしてなにより、僕との共同研究において常に誠実で献身的であった忘れがたい年下の友人達。

その出会いの中、大学院在学中に大阪樟蔭女子大学の教員として採用され、また日本建築家協会の会員として建築設計の実績を積むこともできた。そして、大学 院における研究の総決算として学術博士の学位までいただいた。

 これらのすべては、当初から自分が望んでいたものでは決してない。それは、新しい場所と人の出会いが与えてくれたものだと考えている。

板野(中村)寛海さん
 私は、生活科学部食品栄養科学科を卒業後、大阪市立環境科学研究所という行政の研究機関に就職し、現在も勤務しています。

職務上の必要性から後期博士課程に社会人入学する機会を得ることができ、再び大学で3年間お世話になり、この春卒業することができました。

ほぼ10年ぶりに足を踏み入れた大学、生活科学部棟はとても懐かしく、仕事の帰りに大学に立ち寄って現役の学生さん達と接するのが、楽しみの一つでもありました。

大学院に進学することについて、社会ではあまり役に立たないような専門的な知識を追究し、女性の場合は、特に、卒業後の就職に不利になってしまうと考えて いる方が多いかもしれません。 しかし、大学院で学ぶということは、自分自身の力で考え、計画を立ててそれを実行し、得られた結果について先生や研究室の仲間と話し合い、自分なりの答え を探し出すことの繰り返しだと思います.これは、社会人として、どのような職場で勤めていくにも大変重要なプロセスではないでしょうか。口で言うのは簡単 なことですが、実際にはものすごく勉強が必要ですし、周囲とうまくやっていく能力も求められます.恥ずかしながら、私は社会人でありながら、大学院で学ん で初めて、このことに気付きました。

大学を卒業してからの人生の方が圧倒的に長いです.大学院でこのような経験を積んでから社会に出ても決して遅くはないと私は思います。

井奥 加奈さん
―フラボノイドの魅力―

フラボノイドは大学院在籍中にめぐり合った化合物である。修士在学中は香辛料中に存在する新規な構造を持った抗酸化性物質を検索していたため、どちらかというとありがたく思えなかった化合物群であった。

フラボノイドは天然物中に存在するごく一般的な化合物であり、構造も簡単で古くからUVを用いて構造解析されていたのである。しかし、食事中の一成分とし て、改めてフラボノイドを見直してみると、一般的な化合物であるがゆえに摂取量も少なくなく、古い文献では20mg/日近い摂取量であることが明らかにさ れていた。私はタマネギ由来のケルセチン配糖体を用いたラジカル捕捉活性の検討を機会に、そのような論文に触発されながら、もくもくとタマネギを炒める実 験に手を染めることにしたのである。それ以来、タマネギを炒めるばかりでなく、野菜類に含まれているケルセチンを主としてそれなりにフラボノイドに関わっ てきたつもりである。

フラボノイドの魅力のひとつは、比較的簡単な構造でポピュラーな有機化合物群でありながら、化学構造と活性相関、食品加工・調理特性、食品の品質維持、天 然色素としての活用、各種活性やそのメカニズム、ヒトの健康維持増進に至るまで、非常に多面的な研究ができることではないかと思う。フラボノイドの中のケ ルセチンという一化合物を取り上げても同じである。多面的な研究ができるがゆえに、私の場合はケルセチンをやっているだけなのにあれこれと手を出してどれ も中途半端になってしまっているが、あれこれと手をだしてみたいと考えられるようになったのは生活科学研究科で実際に右往左往した経験からである。また、 自分なりにあれこれと考えはじめた時の諸先生方がくださったアドバイスは心強いものだった。大学院時代は、『研究室とはファミリーのようなものだ』とおっ しゃる恩師のもとで、研究室の温かさを学べたことも心の支えになっている。これからはまとまるように仕事を進めないと、思いながらも一生フラボノイドに関 して中途半端にやり散らかしていくのかもしれない。

諸井 孝文さん
 “関東地震をなぜ大阪市大に?”と思われるかも知れません。深く尋ねられる少し困るのですが、この地震が関東に留まらず日本の近代に大きな影響を与えた こと(つまり関東の大学にこだわることはない)、生活に密着した「被害」や「震度」についてまとめたかったこと(大阪市大には指導を受けるのにふさわしい 生活科学研究科がある)などが理由でしょうか。

 さて、関東地震には数多くの被害資料が残されています。ところがその中に載っている被害数は資料ごとにかなり異なり、例えば被害分布を求める時にどの資 料を用いれば良いのか判断つかないのが現状でした。そこでひとつひとつの資料を調べ、数値のくい違いの原因を明らかにして合理的な被害データベースを作成 しました。それは複雑に入り組んだパズルを解くような快い苦労でした。時間はかかりましたが、出来上がったデータベースから、より高い精度の震度分布や被 害の特性が評価できたと思います。

  よく考えてみると、今回参照した被害資料の多くは大地震直後に収集・整理された結果です。想像を絶するような混乱の真っ直中で資料をまとめ上げることは生 半可な作業ではなかったでしょう。地震防災にかける先人の情熱がひしひしと伝わってくるようであり、また後に続く我々に叱咤激励を与えているようにも思え ます。この研究が多くの犠牲の上に成り立っていることを肝に命じ、これから一歩でも前に進めていきたいと考えています。

福井 貞亮さん
 私は大阪市立大学大学院生活科学研究科を修了し、博士(学術)の学位を授与されました。博士課程では、自分自身の限界に挑戦するだけではなく、社会的な 評価の中に自身の身を置き、その中での承認を勝ち得ていくことが求められます。博士号とは、社会から切り離された個人の達成感によってのみに与えられるの ではなく、さまざまなダイナミクスによって形成される社会的な承認の結果として、課程の修了が告げられ、授けられるものなのだと思います。本学の先生方 は、社会的な評価に耐えうる力を学生に身につけさせることにおいては、非常に貪欲であったかと思います。修了後すぐに、米国カンザス大学社会福祉学部で研 究をする機会を得た私は、本学の学位が国境を越えた先での評価にも充分に耐えうることを実感しています。研究者としての歩みを始めたばかりの私ですが、博 士号を取得した研究者としての周囲からの評価は妥協のないものであり、これからの長い研究生活において、その重みと責任を感じていくことでしょう。しかし ながら、本学博士課程での経験は、世界を舞台とする社会的評価に挑み乗り越えていく上でも、常に私の心の支えとなることと思います。本学より博士号が授与 されたことは人生の中での大きな誇りであり自信であり、私を支えて下さった研究室の先生方と仲間達に深く感謝致します。

長濱 輝代さん
 私は1997年に大阪市立大学生活科学研究科を修了した後、こども病院の臨床心理士として働きだしました。病院ではこころの葛藤を様々なサインで出して いる多くのこどもたちとそのご家族に出会い、さらに新生児集中治療室では小さな体で精一杯生きようとしているあかちゃんと救命医療の最先端の現場でただひ たすらに我が子の安寧を祈るご両親に出会いました。命の現場でいったい臨床心理士がなにをどのように支援できるのか・・・臨床実践を行う中で得られたもの を学問的にまとめる必要性を痛感し、考えた末に社会人として働きながら大学院へもどることを決意しました。

常勤で週6日働きながら同時に研究作業を継続するためには工夫が必要でした。仕事が終わってから調査研究のため新生児集中治療室を訪ねては資料やデータを 収集し、時間をみつけて大学へ足を運んで指導教官や仲間たちとディスカッションしました。確かに社会人として働きながら研究活動を行うことは大変でした が、逆に言うと、臨床現場で得られた疑問について深く考察する機会を得て、それらの結果を臨床現場に即還元することができる、ということです。これは、臨 床現場の対人援助職に携わる者には得がたい好条件であると思っています。

 縁あって現在では大阪市立大学講師として後輩たちの教育にも携わるようになりました。今後は現場で得られた貴重な体験を、学問的にまとめ、臨床実践に生 かすだけではなく、対人援助職を目指す後輩たちへの指導に生かしていきたいと考えています。

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